八重の桜 風吹ジュン(佐久)さん 水原希子(捨松)さん、スタパに出演

先日のNHK『スタジオパークから、こんにちは』に八重の桜で八重の母・佐久を演じている風吹ジュンさんが出演されました。

とても60歳を超えているとも思えない若さと美貌。40歳の司会者の方も驚いています。デビューエピソードや、和田勉さん演出NHKのドラマ出演などを語り、『八重の桜』でのエピソードを話します。
ほとんどスタジオ入り、写ってなくても現場にいたとの事。幕末から明治、37歳から85歳までの役作りついて、ヴィジュアルを元気に作ってもらい若く元気に撮ってもらったそうです。85歳の役は、役作りで2キロのダイエット、梅干ばあさんを目指し小さくなって演技をしたそうです。丁寧に動くようにして、ファスティングダイエットは3日間ジュースのみ飲み続けたとの事。
その後、竹中直人さん舞台競演の話、何とかボールでのエクササイズを話していましたね。

そして今日の『スタジオパーク』は水原希子さんがゲスト出演。

初ドラマが大河だったが、現場は『だいじょうぶだよ。』と言ってくれて和やかだったそうです。大河ドラマで、英語を話す捨松と津田梅子のVTRを紹介。『英語と日本を交互に使うシーンは難しかったですね。』と初ドラマでの苦労を話す水原希子さん。NHKの社員食堂のごはんがお気に入り。『チーズハンバーグが好きでした。』と話しています。幼少はワイルドだった、モデルはなりたかった。八重の桜の捨松については、あっけらかんとしていて、やっていた自分も強くなっていったの事。

そして母との共演で花が開いた話。『八重の桜』で艶に『会津の汚名を注ぎ国の礎になって欲しい・』と大山との結婚を反対され捨松が涙が流すシーン。このシーンは、涙を流すとは台本になく、突然すごく悲しくなり涙が出てきたそうです。秋吉久美子さんと共演して女優さんでかっこいいな。と思ったそうです。VTR出演の秋吉久美子さんは『すばらしい素材をもっているんです。・・客観的な視点を自分にもったらいい。』とアドバイス。

そして、次回放送『八重の桜』で捨松が篤志看護婦人会を作るエピソードを紹介。

今日のトークを聞いていて、まだまだ女優としてのキャリアは浅いですが今後が楽しみな女優さんと感じましたね。

綾瀬はるか X オダギリージョー『八重の桜』京都編を語る

土曜スタジオパーク、八重の桜スペシャルを観賞。京都・同志社大学 ハーディホールから中継、八重役の綾瀬はるかさんと新島襄役のオダギリジョーさんがゲスト出演です。
放送が始まって福島県に観光客が増えたと聞いて嬉しかった語る、綾瀬さん。先週見て、涙したと話すオダギリさんです。これまでの『八重の桜』会津編をVTRで紹介。
佐久演じる風吹ジュンさんは『綾瀬さんと過ごした時間は宝物』、綾瀬はるかさんも『日に日に、愛情が深まっていく。』と実際の親子以上です。
これからの京都編では八重が英語で話すシーン、尚之助と東京での再会、そして八重が井戸の上での襄とのシーンなどがVTRで紹介。
『尚之助との別れのシーンは長谷川さんのクランクアップだったので悲しかった。』と話す綾瀬さん。メイクさんもオダギリさんに涙が止まらなくて大変だったと話したそうです。
尚之助とは『ういういしい』、襄さんと『夫婦だけど親友』と話す綾瀬さん。
綾瀬さんとオダギリさん、お互いの素の印象はオダギリさんは『正直でピュア』、綾瀬さんは『ビジュアルが完璧、センスがいい。』。

後半は、びびる大木さんの京都レポート。二人が暮らした新島旧邸(1878年完成)は、洋館に見えますが作りは和風。応接間は広さ18畳。実際に、新島襄や八重がが寛いだソファー、洋式トイレ、八重が女学生に教えた茶室があります。
新島襄がキリスト教を作ろうとした、その決意。アメリカに密航、祖国・日本での戊辰戦争に悲しみ、教育で日本を立て直そうとアメリカで寄付金を募る。新島襄について『とても情熱的で信念につきすすむ』と語るオダギリさん。先日、新島襄が、自責の杖で腕を叩いたシーンを撮影した為、オダギリさんの手は腫れているそうです。
オダギリさんは『天使のようだ。』と語る綾瀬さん。山本家の食時会にもオダギリさんは撮影前から参加。
再び京都レポートでは、びびる大木さんが新島襄が作った同志社大学の礼拝堂、新島旧邸の台所は井戸が作られ、襄は当時からワッフルベイカーでワッフルを焼いて食べていたそうです。オダギリジョーさんと新島襄の共通点で海外留学、絵を描く事を紹介。
当時、新島襄と八重が食べていたものとしてロールキャベツ、ジンジャケーキを再現。八重は生徒を自宅に招いてロールキャベツを振舞ったそうです。

これからの見所として『新たな人生を歩んでいくか、八重さんはじめ殿だったり頼母だったり会津の人々の生き様。ジョーと出会って、どうやってこれからの人生を歩んでいくかが見所。』と語っていましたね。

<八重の桜ドラマストーリー 京都編収録>

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八重の桜ツアー 吉川晃司X中村獅童 福島県いわき市ツアー

NHKで放送の八重の桜ツアー「ただいま、東北」吉川晃司X中村獅童を見ました。
冒頭では、今までに放送された八重の桜ツアー「ただいま、東北」のVTRが紹介されましたが、稲森いずみさんと綾野剛さんも出ていたのですね。見逃した!知らなかったですよ。
今回は、会津若松から、だいぶ離れた”福島県いわき市”が旅の舞台です。西郷隆盛役の吉川晃司さんと佐川官兵衛役の中村獅童さんは、いわき浜風商店街へ。
スパリゾートハワイアンズには草笛光子さんが訪れています。映画「フラガール」の舞台になった観光スポットなので西日本の方も知っている方は多いのではないでしょうか。フラガールと一緒に踊る草笛さん。フラガールの皆さんは震災後、全国を廻っていたそうです。
「吉川晃司X中村獅童」野獣コンビは久之浜の浜風商店街へ。震災でお店を失った為、こちらの仮設でお店を出しているそうです。伝楽こんにゃく、てんぷら、ラーメンなどを召し上がる二人です。次に、向かった場所は「いわきアンモナイトセンター」。昔、いわきは海だった為に多くの化石が取れます。続いて小名浜でカジキメンチを召し上がり。イベントの日には1000枚も出るご当地グルメです。
番組では過去の八重の桜ツアー「ただいま、東北」で黒木メイサさんが食べた「てんぷらまんじゅう」、剛力彩芽さんが食べた「白河だるまハンバーガー」なども紹介。
草笛光子さんが「スパリゾートハワイアンズ」の次に向かったのは「アクアマリンふくしま」。水槽を泳ぐゴマファアザラシのみらいちゃん、かわいいです。
過去の八重の桜ツアー「ただいま、東北」は「八重の桜」ゆかりの地を巡る旅でしたが、今回は、東北復興をメインとした被災地を巡る旅でしたね。震災から奇跡の生還を果たしたおばあちゃん、そして、東日本大震災をなくなった方を供養する為の始めた、じゃんがら念仏祭り。まだ震災の爪あとが残る中、強く生きる「いわき市」の人々を感じました。

黒木メイサ 『スタジオパーク』出演 中野竹子 最期の映像を紹介

今日のNHK『スタジオパークからこんちには』に、初の大河ドラマ「八重の桜」で中野竹子を演じている黒木メイサさんが出演されました。
『豪華なセットでびっくりした。』『所作指導の先生が厳しかった。』と話す黒木メイサさん。現場では、綾瀬はるかさんが、すごくいい空気を作ってくれたそうです。

番組では、八重と竹子の薙刀の試合のシーン。そして7月7日放送『包囲網を突破せよ』から竹子のシーンを紹介、
竹子の『なにとぞ、われらを、ご出陣の軍勢に加えてくださいませ。』の願いに、
『ならぬ。』と答える萱野権兵衛だったが『それでは、今日まで鍛錬してきたかいがございませぬ。ここで、自害を致します。』『皆様。』と竹子が言うと、こう、優子、岡村すま子、依田菊子、依田まき子、神保雪が短刀に手をかける。焦って『待て!許す。』と話す権兵衛。

そして竹子たちは会津藩士と共に戦場へ・・・

母・こう『いきましょう。』妹・優子『姉上!』竹子『行くぞ!』・・・・・・

綾瀬はるかさんとの薙刀のシーンは、事前に手を合わせて動きを決めて撮影。
薙刀は長いので当たりそうにもなったそうです。
竹子を演じて見て『凄い時代だなと・・・家族以外にも守らなければならない照姫様・・妹を戦争に行く前に、手をかけてしまおうかと・・演じていて苦しい部分もあった。』
黒木メイサさんは出産を経験をして家族を対する思いが感じ方が変わったそうす。

竹子を演じるあたり、中野竹子の墓、二本松を訪れた『八重の桜ツアー』の模様も紹介。
二本松を訪れ、目に涙を浮かべる黒木メイサさんです。

『そういう事があった学んでいたけど・・・子供が戦場に行く。それを母親たちが、送り出すのは、やっぱり悲しい事、寂しい事だと・・・この少年たちが遠足に行く感じでわくわくしながらと話を聞いて、それも辛い。』

そして、最後に『女性として強くありたい。・・凄く竹子さんを見ていた強さを感じ、きっと悔いはないと感じた。』と語っていましたね。

綾瀬はるか 今後の『八重の桜』見どころを『あさイチ』で語る

昨日、放送のNHK『あさイチ プレミアトーク』綾瀬はるかさんのゲスト出演の回を見ました。そのレビューになります。

冒頭でプレミアトークは2回目の出演。自分を食べ物に例えるとラーメン。

番組では、実際に新島八重の昭和初期の映像を紹介。そして、今までの『八重の桜』の”あらすじ”、幼少の頃の八重や、あの二本松少年隊の映像が流れました。

VTR出演の西島秀俊さんが、綾瀬はるかさんは現場撮影が続き四日目の朝で元気な事。『実際に背負って。あいつ凄いんだよな。人が食べ物ものをチェックするのはやめて欲しい。』と話していましたね。

その理由について綾瀬はるかさんは鍛えているから、食べている物が気になったそうです。

質問のNHK食堂でお気に入りのメニュー?については、5階のバラエティのラーメン。
他にも大食いの綾瀬さんが会津若松で会津味噌を使った味噌伝楽の他にソフトクリームなど食べる映像が紹介されました。

続いて映画『あなたへ』で共演をした高倉健さんと撮影現場で話すシーンが紹介。

『耳が大きいですね?福耳・・』
『絶対、福じゃないよ。不幸の連続だもん』

『でも、耳が大きい人は人の話をよく聞くんですよね?』
『あんまり聞かないよ。かーっとまっしくぐら。
でも、ある程度そうじゃないと女優さんは難しいじゃないの?皆、おいしいことばかり言ってくるでしょう。あなたが、幸せか幸せじゃないかより、売れるか売れないかだよ。それは、もう事実。』

『でも仕事は、人生じゃないですよね?人生のひとつ?』
『ひとつでしょうね。難しい質問するね。えらいね。』

『それに、ついて、たまに考えてます。』

と初めてお会いをする健さんと深い話。

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スタジオでは、『(健さんが)さらっとズバっと言うので、芸能界は怖いんだな。』 『健さんも、(八重の桜に)出てくださいよ。』と誘ったら『やだよ。』返された事、
八重を演じるにあたり会津の郷土料理に行って会津弁で話しかけたりして、生の会津弁を学んだことも話していましね。

『八重の桜』を楽しむ方法では時代劇評論家・ペリー荻野さんが登場。
八重の桜ここを見て!では
1 会津の女子会
2 ホームドラマ
3 ファッションチェック
など女性目線での八重の桜の見どこを紹介。

再び綾瀬はるかさんへの質問コーナーで、
ハンサムなところはありまか?『トイレがすごく早い。』
美肌の秘訣は?『触らないようにしている。保湿をするにように心がけている。』元気に過ごすアイディア?『食べること。お風呂。気心の知れた人と話す。』

続いてお気に入りのシーンで第22回『弟のかたき』を紹介。

銃を持って家を飛び出る八重を慌てて追いかける尚之助。 『誰を撃つんですが!!しっかりしなさい!』に 『私が行げばよがったんだし三郎より私のほうがずっと強いんだから・・・三郎ーーーー!』と八重が号泣。

『八重さんが、弟を失って本当の意味で覚悟が決まったと・・シーンだなと』 『弟の死は大きかったと思います。八重さんの中で私は戦って会津を守ると向かっていくところ・・』と話す綾瀬はるかさん。

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これから見て欲しいシーンは、『最後まで諦めずに会津藩士は堂々と戦って敗れ、そこから八重さん凄いところはそれでも前を向いて生きいく葛藤、尚之助との別れ、それを乗り越えていく過程が私自身も演じて勇気を貰える・・・・諦めずに前を歩こうと力強さが一番の魅了ですね。』

と明治以降の八重の魅了に付いて話しておられましたね。

八重の桜 西郷頼母と家族【八重子】の悲劇 レビュー

先日の水曜日に「NHKの歴史秘話ヒストリア 西郷頼母と家族の悲劇」を放送。

そのレビューになります。

冒頭で紹介の「善龍寺の二十一人之墓」。

より大きな地図で 八重の桜 ゆかりの地 を表示

善龍寺の二十一人之墓は、自刃した西郷一族を弔うために建てられたそうです。

とりわけ広大な屋敷を持っていた「西郷頼母邸」。会津武家屋敷に復元されていますが敷地面積は2400坪、部屋数は38もある大邸宅。城の真正面にあった西郷邸は会津藩の草創期からあった家柄で徳川将軍家にもつながる名門。妻の千重子(千恵)も上級藩士出身で6人の子供たちにも藩を支える誇りと心構えを伝えたそうです。

頼母は京都守護職の役目を頑固反対した為に家老職を解任。その後、会津戦争で家老職に復帰して白河口総督として新政府軍と一戦を交えるが歴然とした戦力の差を感じ、恭順を提案するが藩内には同意するものがいなかった。

近代的兵器を装備した新政府軍は白河、二本松を破り慶応4年8月23日についに会津若松城下へ突入。

会津若松(鶴ヶ城)城下では、会津の女たちも戦うことになる。

法界寺には娘子隊の中野竹子が使用した薙刀が遺品として奉納してあるそうです。

次々と老人や子供が会津若松城に入る中、西郷千重子(千恵)も誘われたが断った。千重子は、自分たち一族が城に入らないことで少しでも他の人たちに兵糧を回せるようにした。そして生き恥をさらさない為に自刃を決意。千重子は跡取りである11歳の長男だけを城に送り出したそうです。千重子は女性たちを諭し死出の支度を始める。死に装束を整えるため自ら肌着の襟や袖に縫い付けていく幼い娘。

13歳の次女・瀑布と16歳の長女・細布は二人で辞世を詠んだ。

「手をとりてともに行きなばまよはじよ(次女) 」

「いざたどらまし死出の山みち(長女) 」

”家族 みんなが一緒ならば道に迷う事もなく あの世へとゆく事ができるはず”

それが姉妹が残した最後の願い。

一族は次々と自害。最期に母の千重子は幼い娘を手にかけて自刃した。

辞世の句は「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」

”弱々しき女の身は あたかも風に揺れるばかりの細い竹ですが

決して たわむ事のない節もあるのです”

一族が自害した後に、西郷家は火に包まれて焼け落ちた。

野ざらしになっていた21人の遺骨を埋葬したのが頼母の姪・登世子だったそうです。

登世子の尽力によって築かれた「善龍寺の二十一人之墓」。

現在、寺には千重子(千恵)なの竹の歌碑が建てられているそうです。

千重子の死後、玉砕を覚悟していた頼母は、和睦派と対立して会津若松城を追われ、吉十郎を連れて仙台、箱館。戦いに破れ幽閉の身となる。自害も考えたが長男・吉十郎を育てるために生きることした。その事は自叙伝「栖雲記」に詳しく記されているそうです。しかし、吉十郎は22歳で亡くなってしまう。無念と悔恨に、苛まれた西郷頼母の晩年。吉十郎の死後、神社の神官などで各地を20年ほど渡り歩いた。
70歳を迎えた西郷頼母は会津に戻り、むしろを下げただけの長屋住まいを送ったそうです。

何故、頼母は会津に戻った?それには理由はあった。

「善龍寺の二十一人之墓」の隣に自分を墓を建てる為だった。

妻・千重子(千恵)と共に眠りたいからだったそうです。

政府の要職や、ゆとりある生活を送る事も出来た知識人の西郷頼母が全国の放浪する余生を送ったのか?それは、会津戦争で亡くなった会津の人たち、そして妻や子供たちに償いの念があったからでしょう。死んでも妻たちに会わせる顔がない。それなら、事実を後世に伝えて行こうと、悔やんだに違いない事でしょうね。

6月30日には第26回「八重、決戦のとき」が放送。
スタジオパークで西郷千恵を演じた宮崎美子さんが涙を流して語った西郷家が自刃をする事となります。

八重の桜 西郷千恵を演じた宮崎美子さん、自刃シーンを涙で語る

大河ドラマ「八重の桜」に西郷千恵役で出演している宮崎美子さんがNHK「スタジオパーク」に出演されました。

九州出身の宮崎美子さんは千恵役を演じるにあたり西田敏行さんに聞くと「長州でもないし薩摩でもないし」と言われ、会津の人たちは長州や薩摩に対して、まだ、わだかまりがあった事を知ったそうです。
他に西郷頼母が子供たちを膝の乗せるシーンは台本になく、西田敏行さんアドリブで演じたそうです。
今後、篭城戦といく会津戦争。番組では西郷家の自刃のシーンを紹介。小さい子供たちは、状況が判らなくてキョトンとしており、長女を演じた田中明さん、次女を演じた豊田留妃さんは本当に悔しい顔をしたそうです。スエちゃん役の夏目ちゃんが怖がって演技ができなかった事や本当に重苦しい雰囲気だった事を宮崎美子さんは涙を流して話しておられました。当時の西郷千恵をはじめ西郷家が、どうような思いで自刃をしたのか、感じるものがあったのでしょう。
他に「スタジオパーク」ではデビュー当時の事や得意の漢字検定について話していましたが「八重の桜」での自刃シーンが印象に残りましたね。

八重の桜 後編 あらすじ【ドラマ・ストーリー】壮絶、会津戦争

注文をしていた八重の桜 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) [ムック] / NHK出版 (編集)がamazonから届きました。
冒頭の写真は会津戦争での名場面。八重の鉄砲を構える場面や中野竹子の最期、白虎隊など名シーンが収録。登場人物紹介では八重、覚馬、尚之助以外に中野竹子、山川大蔵、官兵衛、照姫、容保、斉藤一、勝海舟、徳川慶喜、松平春嶽など主要人物を2ページを使い紹介しています。
続いて、八重の生き方、綾瀬はるかX貫地谷 しほりX黒木メイサ 座談会、戊辰戦争で会津の戦い、新たな人生を歩んだ京都、製作日記と収録されています。

八重の桜 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) [ムック] / NHK出版 (編集); 山本 むつみ, NHKドラマ制作班 (その他); NHK出版 (刊)
八重の桜 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) [ムック] / NHK出版 (編集)

続いて「八重の桜 後編 あらすじ」が収録。そのあらすじは、

第19回 「慶喜の誤算」
第20回 「開戦!鳥羽伏見」
第21回 「敗戦の責任」
第22回 「弟のかたき」(戦雲、東へ)
第23回 「会津を救え」(奥羽の誓い)
第24回 「二本松少年隊の悲劇」(二本松落城)
「二本松・・あの子供だぢ・・」八重の不安は的中・・・・
二本松で二本松少年隊は戦場に命を散らした。八重からの白河だるまを貰った才次郎という少年の姿もあった。

八重の桜1

第25回 「白虎隊出陣」
・猪苗代城から新撰組が撤退。土方歳三は仙台へ、斉藤一は会津へ戻った。会津では白虎隊を見送る八重。登城の支度をととのえ「会津を傷つける者を、私は許さねぇ。・・・私は戦う。」三郎の軍服を着て、肩からスペンサー銃をさげるのだった。

第26回 「スペンサー銃を撃て」
・八重は佐久、うれ、みねを連れて城へ急ぐ。新政府軍に会津若松城の外堀の一画が破られる。八重は健次郎ら少年兵を率いてスペンサー銃で応戦。「命を捨て示すのが、西郷家の役目だ。」西郷千恵と西郷家が自刃。「大蔵、官兵衛、平馬、皆、会津を頼む。」と負傷の田中土佐、内蔵助も自刃して果てた。飯盛山の山腹までたどりついた白虎隊。「俺だぢは会津の本軍だ・・見苦しいまねはできねえ。」伊東悌次郎と白虎隊は自刃する。

第27回 「彼岸獅子入城」
・涙橋の近くで戦闘に入っていた中野竹子。銃弾に胸を撃ちぬかれ「悔しい・・・あと少しのところで」と絶命。そのころ神保雪は新政府軍に捕らえられ、自ら喉を突いて命を絶った。。大蔵は彼岸獅子の行列ととともに入城する。

第28回 「殿との再会」
・西郷頼母は会津を去り、官兵衛は酔いつぶれ兵を失う。西郷千恵と中野竹子の死と雪が消息不明だと知る八重。大蔵の妻・登勢が「焼玉おさえ」で洗濯物を落ち弾にかぶせようとしたが爆発した。

第29回 「鶴ヶ城開城」
・新政府軍の総攻撃が始まる。容保の命で秋月は城を抜け新政府軍と交渉。権八が瀕死の重傷で戻ってくるが「八重、にしは、わしの誇りだ・・皆を守れと」と家族に看取られ息絶える。猪苗代に向かう途中、尚之助の突然行為に「尚之助様!なじょして・・・尚之助様」八重は遠ざかる尚之助の背中に向かって絶叫した。

第30回 「再起への道」
第31回 「覚馬からの手紙」

八重の桜2

多くの会津藩士が戦死、自刃をする会津戦争。生き残った会津の人々も離縁や厳しい生活がまっています。三郎とおとっ様の死。八重と尚之助、うらとの別れ・・・。「八重の桜 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) [ムック] / NHK出版 (編集)」に離縁後の尚之助の最期は描かれておらず、東京で裁判にかけられる場面で終わっています。覚馬が妻を娶った事を知り愛するみねと別れるうら。「八重の桜 後編あらすじ」を一通り読んで、あの賑やかだった山本家がなつかしくも思いましたね。

新撰組・斉藤一 会津藩・松平容保との絆 会津戦争での誠

先日のNHK歴史秘話ヒストリアで『新選組最強ヒーロー!斉藤一 会津藩・松平容保との絆』を放送。大河ドラマ『八重の桜』でも今後、キーパーソンとなる斉藤一の特集です。『八重の桜』でも劇中に登場の京都 金戒光明寺。会津藩の本陣が置かれた寺で八重の桜 第8回「ままならぬ思い」では、覚馬に『殿をお守りせよ。何があろうども・・・よいな』と頼母が頼んだ場所です。
文久3年4月16日に藩主の松平容保が、壬生浪士組の試合を見たいと本陣に招き入れた。第2試合で斉藤一と永倉新八の戦いを見た後に容保は大いに喜び、その後、八月十八日の変での壬生浪士組が活躍、容保は”新撰組”の名を彼らに授けたそうです。
幕府崩壊後、江戸で近藤勇は斬首。斉藤一は新撰組の意思を継ぎ、会津へ。新撰組は会津・天寧寺の近くに宿舎を置いたそうです。寺の邸内には近藤勇の墓があるとの事。会津では土方歳三が負傷しており、代わりに隊長として新撰組を率いたのが斉藤一。

慶応4年閏4月25日、斉藤一(25歳)。白河城の南 稲荷山で戦いの火蓋が切られた。新政府軍400人の軍勢を迎え撃ったのが斉藤率いる新撰組のわずか130人。『島田魁日記』には『敵兵は、ことごとく敗す』と記され大勝利だったそうです。この戦いで新撰組が斬った武川直枝は近藤勇を死罪に追いやった人物。斉藤の初陣は近藤の弔い合戦だったそうです。
慶応4年8月21日。母成峠で戦った斉藤ら800の兵だったが新政府軍に敗北。戦況を報告する為、斉藤は城に戻る。容保は白虎隊を率いて出陣するが、新政府軍の総攻撃で会津若松城(鶴ヶ城)にひいたそです。
慶応4年8月23日に城下に新政府軍がなだれみ、略奪、暴行など起きて地獄のようなありさまになる。藩士、老人、女性、子供たちが会津若松城に集結。5000を超える人が立てこもる事になるが、戦況の悪化で旧幕府軍は脱出する。
旧幕府軍の論議の中、会津を去ろうと言う意見が大勢を占めていく中、斉藤が言い放す、
『それは誠義にあらず。我々は上洛以来、会津には多くの恩がある。今、会津が劣勢だからと申して見捨てる事はできぬ。』

誠の義を貫いた斉藤は会津の残り、僅かに数で敵兵にゲリラ戦を仕掛け如来堂近くで戦っていた。
慶応4年9月4日。斉藤ら13人は新政府軍300人に囲まれた。それでも剣を振るまって戦った斉藤一は、まさにラストサムライ。

明治元年9月22日。武器弾薬は底を付き、容保は降伏。斉藤も、会津と共に降伏したそうです。明治になり、斉藤一は藤田五郎と名乗り警察官になった。西南戦争に参加、斉藤一は八重の幼馴染 時尾と結婚。その時、仲人を務めたのが容保。

大正4年に斉藤は東京・本郷で正座をしたまま死を迎え、死後のこの身を葬ってほしいと言い残した場所が会津。会津若松市の阿弥陀寺に葬られたそうです。
京都の新撰組時代以外はドラマや映画でほとんど描かれなかった斉藤一。
『八重の桜』で会津、そして明治を生き抜いた斉藤一も描かれることになるでしょう。

斉藤一 会津ゆかりのスポット
・天寧寺
新選組が近くに宿舎。近藤勇の墓ある。
福島県会津若松市東山町石山天寧208
・阿弥陀寺
斉藤一の墓、萱野権兵衛遥拝碑がある
福島県会津若松市七日町4-20
ハイカラさん・あかべぇ「七日町駅前」下車すぐ

八重の桜 レビュー 第10回 池田屋事件 

八重の桜 レビュー 第10回

殺陣が出来る役者で新撰組を選んだだけあって池田屋のシーンは長く、迫力がありましたね。まさか、沖田の吐血シーンもあるとは思ってもいなかった。斉藤一役の降谷建志さんも自分が描いている斉藤のイメージと程遠いですが、殺気があり殺陣もなかなかでしたよ。
京で名を挙げるのが目的の新撰組と、殿に忠順な会津藩士。
『池田屋事件』によって会津は長州に憎まれ事に・・どこまで会津は不幸なのでしょう。会津パートでは、八重と時尾の友情。そして八重の妹分のユキ(剛力彩芽)の、おっちょこちょいぶり、会津戦争は、あの姿で戦うのでしょうか?ちょっと癒されましね。