大山捨松役 水原希子
山川大蔵(浩)の妹。1871年、津田梅子らと日本初の女子留学生にとして渡米。帰国後、会津の仇敵である薩摩の陸軍軍人・大山巌と結婚した。美貌と知性を併せ持ち『鹿鳴館の華』とたたえられる。
山川大蔵(浩)の妹。1871年、津田梅子らと日本初の女子留学生にとして渡米。帰国後、会津の仇敵である薩摩の陸軍軍人・大山巌と結婚した。美貌と知性を併せ持ち『鹿鳴館の華』とたたえられる。
会津藩士・広沢安任(広沢富次郎)の遠縁。広沢の紹介で山本家に下宿、同志社で学ぶことになる。ほかの生徒との学力の差に悩む青木は覚馬の妻・時栄に慰めされ好意を抱く。しだいに惹かれあう二人だが、青木と時栄の”不義の噂”は京都に広まる。その後、青木は時栄と別れ、時栄も山本家を出て行く。
日本最初の心理学者。ディヴィスより受洗後、同志社英学校に入学。卒業後、ボストン大学などと哲学、心理学を修めたのち、帝国大学の教授となり、結婚後、元良家の養子となる。
長州藩出身。明治政府では、その中枢に座し、東京奠都、版籍奉還、廃藩置県など大胆な政策を打ち出した。西郷隆盛の『征韓論』に反対し西南戦争を鎮圧するが、のちに不平士族に暗殺された。
長州藩出身。戊辰戦争では越後から会津に転戦した。戦後は新政府で軍事改革。山県の徴兵令の改正により私立学校は徴兵猶予の恩典から除外され、同志社から官立学校へ生徒が流出する事態となった。
長州藩出身。木戸孝光の推挙で京都府に出仕。覚馬を政府顧問に抜擢した。のちに新島襄のキリスト教系学校の設立を妨害、覚馬と対立した。増税をめぐり初代府会議長に選出された覚馬に糾弾され知事を辞職する。
熊本洋学校、同士社英学校で学ぶ。卒業後は上京し、京橋の新肴町教会、番町教会などを設立。襄のあとを受けて同志社の社長に就任。
上州・安中藩士。藩主・板倉家の右筆を務めた。アメリカに密航した襄より届いた手紙で脱国を知り、彼は測量中に遭難したとの届けを藩に提出。10年を経て襄と再会、襄に招かれて京都の新島邸で暮らした。
横井小楠(よこいしょうなん)の長女。伊勢時雄の妹。熊本洋学校、同志社女学校で学ぶ。卒業後、兄の友人・海老名喜三郎と結婚。夫の死後、キリスト教連合会婦人会会長、東京基監教育青年会会長などを歴任した。