八重の桜キャスト 西郷千恵 宮崎美子

西郷千恵役 宮崎美子

西郷千恵【西郷頼母の妻】

頼母との間に間に1男5女をもうける。会津では恭順を強く唱え、そのたびに藩内で孤立した。戦況が切迫すると、長男・吉十郎のみを会津若松城内に送り、家族を集めて『この事、命を捨てて示すのが西郷家の役目だ。』と大義を説き、『今日は、何をすんですか?』と不思議がる四女・常盤に『皆で行く旅だ。何も恐ろしいのはねえがらな。』と語りかけ、一族21人で自刃した。

辞世の句は「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」

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新撰組・斉藤一 会津藩・松平容保との絆 会津戦争での誠

先日のNHK歴史秘話ヒストリアで『新選組最強ヒーロー!斉藤一 会津藩・松平容保との絆』を放送。大河ドラマ『八重の桜』でも今後、キーパーソンとなる斉藤一の特集です。『八重の桜』でも劇中に登場の京都 金戒光明寺。会津藩の本陣が置かれた寺で八重の桜 第8回「ままならぬ思い」では、覚馬に『殿をお守りせよ。何があろうども・・・よいな』と頼母が頼んだ場所です。
文久3年4月16日に藩主の松平容保が、壬生浪士組の試合を見たいと本陣に招き入れた。第2試合で斉藤一と永倉新八の戦いを見た後に容保は大いに喜び、その後、八月十八日の変での壬生浪士組が活躍、容保は”新撰組”の名を彼らに授けたそうです。
幕府崩壊後、江戸で近藤勇は斬首。斉藤一は新撰組の意思を継ぎ、会津へ。新撰組は会津・天寧寺の近くに宿舎を置いたそうです。寺の邸内には近藤勇の墓があるとの事。会津では土方歳三が負傷しており、代わりに隊長として新撰組を率いたのが斉藤一。

慶応4年閏4月25日、斉藤一(25歳)。白河城の南 稲荷山で戦いの火蓋が切られた。新政府軍400人の軍勢を迎え撃ったのが斉藤率いる新撰組のわずか130人。『島田魁日記』には『敵兵は、ことごとく敗す』と記され大勝利だったそうです。この戦いで新撰組が斬った武川直枝は近藤勇を死罪に追いやった人物。斉藤の初陣は近藤の弔い合戦だったそうです。
慶応4年8月21日。母成峠で戦った斉藤ら800の兵だったが新政府軍に敗北。戦況を報告する為、斉藤は城に戻る。容保は白虎隊を率いて出陣するが、新政府軍の総攻撃で会津若松城(鶴ヶ城)にひいたそです。
慶応4年8月23日に城下に新政府軍がなだれみ、略奪、暴行など起きて地獄のようなありさまになる。藩士、老人、女性、子供たちが会津若松城に集結。5000を超える人が立てこもる事になるが、戦況の悪化で旧幕府軍は脱出する。
旧幕府軍の論議の中、会津を去ろうと言う意見が大勢を占めていく中、斉藤が言い放す、
『それは誠義にあらず。我々は上洛以来、会津には多くの恩がある。今、会津が劣勢だからと申して見捨てる事はできぬ。』

誠の義を貫いた斉藤は会津の残り、僅かに数で敵兵にゲリラ戦を仕掛け如来堂近くで戦っていた。
慶応4年9月4日。斉藤ら13人は新政府軍300人に囲まれた。それでも剣を振るまって戦った斉藤一は、まさにラストサムライ。

明治元年9月22日。武器弾薬は底を付き、容保は降伏。斉藤も、会津と共に降伏したそうです。明治になり、斉藤一は藤田五郎と名乗り警察官になった。西南戦争に参加、斉藤一は八重の幼馴染 時尾と結婚。その時、仲人を務めたのが容保。

大正4年に斉藤は東京・本郷で正座をしたまま死を迎え、死後のこの身を葬ってほしいと言い残した場所が会津。会津若松市の阿弥陀寺に葬られたそうです。
京都の新撰組時代以外はドラマや映画でほとんど描かれなかった斉藤一。
『八重の桜』で会津、そして明治を生き抜いた斉藤一も描かれることになるでしょう。

斉藤一 会津ゆかりのスポット
・天寧寺
新選組が近くに宿舎。近藤勇の墓ある。
福島県会津若松市東山町石山天寧208
・阿弥陀寺
斉藤一の墓、萱野権兵衛遥拝碑がある
福島県会津若松市七日町4-20
ハイカラさん・あかべぇ「七日町駅前」下車すぐ

綾瀬はるか ぴったんこカン・カンで会津若松の旅

今夜放送のTBS『ぴったんこカン・カン』で綾瀬はるかさんが大河ドラマ『八重の桜』の舞台 会津を紹介します。

八重の桜の舞台・会津若松で綾瀬はるかが大暴れ!凧あげ・アスレチック・階段激走…あまりの可愛さに安住デレデレ…39歳アナウンサーが仕事を忘れて勝手にデートを満喫…

どんな天然発言が飛び出して、会津の名所を案内してくれるのでしょうか?楽しみですね。

八重の桜キャスト 世良修蔵 小沢仁志

世良修蔵役 小沢仁志

世良修蔵【長州藩士】

周防国大島郡椋野村の庄屋中司家の出身。幕府の第二次長州征伐では第二奇兵隊を率いて抗戦した。戊辰戦争では会津の武力討伐を強硬した為、慶応4年閏4月20日未明、福島城下の金沢屋に宿泊中、世仙台藩士瀬上主膳・姉歯武之進、福島藩士鈴木六太郎らに襲われ捕縛。同日阿武隈川河原で斬首された。世良の死をきっかけとして、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍との戦争が始まる。

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八重の桜キャスト 榎本武揚(榎本釜次郎) 山口馬木也

榎本武揚役 山口馬木也

榎本武揚【幕臣】

幕臣の家の生まれ、昌平坂学問所、中浜万次郎の塾、長崎海軍伝習所などに学ぶ。戊辰戦争では新政府軍への軍艦引渡しを拒否し、8隻の徳川艦隊を率いて江戸を脱出。箱館に共和政権を樹立、新政府軍と戦う。

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八重の桜キャスト 古川春英 小市慢太郎

古川春英役 小市慢太郎

古川春英【会津藩蘭学所教授 】

無断で藩を出て緒方洪庵が大阪に開いた適塾で学ぶ。その後、会津に戻り蘭学所の教授、長崎の医学伝習所でオランダ人医師の師事。戊辰戦争が起こると会津に戻り負傷者を治療をした。

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八重の桜キャスト 黒河内伝五郎 六平直政

黒河内伝五郎役 六平直政

黒河内伝五郎【会津藩武芸師範】

医家に生まれ、黒河内兼博に神夢無楽流の居合術を学び、その養子となり、のちに師範となる。吉田松陰が会津を訪れた際には、日新館を案内した。八重の薙刀の師匠である。晩年、目と腰を痛め、会津戦争では新政府兵に囲まれた弟子・日向ユキ、八重の窮地を救う。史実では戦いで傷を負った次男を介錯したのちに自刃した。

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八重の桜キャスト 萱野権兵衛 柳沢慎吾

萱野権兵衛役  柳沢慎吾

萱野権兵衛【会津藩家老】

萱野家は会津藩の侍大将を務める名家。京都守護職となった松平容保に従い入京、重臣の一人として藩を統率した。会津戦争では城内との連絡や補給に従事。降伏後、容保を助命するために、藩の責任を一身に背負って自刃した。
明治2年5月18日(1869年6月27日)没

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八重の桜キャスト 田中土佐 佐藤B作

田中土佐役 佐藤B作

田中土佐【会津藩家老】

会津藩家老・田中玄良の長男として生まれる。田中家は日新館を創設した田中玄宰などを輩出して名家。容保が幕府から京都守護職就任を命じられた際、反対をするが京都守護職就任が決定すると、容保に仕え上洛。
戊辰戦争では会津の『甲賀町口郭門の戦い』で死闘の末、最期は神保内蔵助と「生まれ変わっても会津で会おう」約束し、彼と刺し違えて自害した。
【文政3(1820)年-慶応4(1868)年10月8日没】

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八重の桜キャスト 小田時栄 谷村美月

小田時栄役 谷村美月

小田時栄【覚馬の後妻】

丹波郷士・小田勝太郎の妹。目の不自由な覚馬を献身的に支え覚馬との間に娘・久栄が誕生。その後、覚馬と結婚をする。山本家の一員として生活しながら、目と足の不自由となった覚馬を支え続ける。のちに山本家の書生・青木栄二郎と不義の噂になり『兄から別れてください。』と八重に言われ、『離縁してください。』と覚馬に願いでる。山本家を去った時栄は、神戸の大垣屋の身内に身を寄せることにになる。

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