黒木メイサ 『スタジオパーク』出演 中野竹子 最期の映像を紹介

今日のNHK『スタジオパークからこんちには』に、初の大河ドラマ「八重の桜」で中野竹子を演じている黒木メイサさんが出演されました。
『豪華なセットでびっくりした。』『所作指導の先生が厳しかった。』と話す黒木メイサさん。現場では、綾瀬はるかさんが、すごくいい空気を作ってくれたそうです。

番組では、八重と竹子の薙刀の試合のシーン。そして7月7日放送『包囲網を突破せよ』から竹子のシーンを紹介、
竹子の『なにとぞ、われらを、ご出陣の軍勢に加えてくださいませ。』の願いに、
『ならぬ。』と答える萱野権兵衛だったが『それでは、今日まで鍛錬してきたかいがございませぬ。ここで、自害を致します。』『皆様。』と竹子が言うと、こう、優子、岡村すま子、依田菊子、依田まき子、神保雪が短刀に手をかける。焦って『待て!許す。』と話す権兵衛。

そして竹子たちは会津藩士と共に戦場へ・・・

母・こう『いきましょう。』妹・優子『姉上!』竹子『行くぞ!』・・・・・・

綾瀬はるかさんとの薙刀のシーンは、事前に手を合わせて動きを決めて撮影。
薙刀は長いので当たりそうにもなったそうです。
竹子を演じて見て『凄い時代だなと・・・家族以外にも守らなければならない照姫様・・妹を戦争に行く前に、手をかけてしまおうかと・・演じていて苦しい部分もあった。』
黒木メイサさんは出産を経験をして家族を対する思いが感じ方が変わったそうす。

竹子を演じるあたり、中野竹子の墓、二本松を訪れた『八重の桜ツアー』の模様も紹介。
二本松を訪れ、目に涙を浮かべる黒木メイサさんです。

『そういう事があった学んでいたけど・・・子供が戦場に行く。それを母親たちが、送り出すのは、やっぱり悲しい事、寂しい事だと・・・この少年たちが遠足に行く感じでわくわくしながらと話を聞いて、それも辛い。』

そして、最後に『女性として強くありたい。・・凄く竹子さんを見ていた強さを感じ、きっと悔いはないと感じた。』と語っていましたね。

八重の桜 西郷頼母と家族【八重子】の悲劇 レビュー

先日の水曜日に「NHKの歴史秘話ヒストリア 西郷頼母と家族の悲劇」を放送。

そのレビューになります。

冒頭で紹介の「善龍寺の二十一人之墓」。

より大きな地図で 八重の桜 ゆかりの地 を表示

善龍寺の二十一人之墓は、自刃した西郷一族を弔うために建てられたそうです。

とりわけ広大な屋敷を持っていた「西郷頼母邸」。会津武家屋敷に復元されていますが敷地面積は2400坪、部屋数は38もある大邸宅。城の真正面にあった西郷邸は会津藩の草創期からあった家柄で徳川将軍家にもつながる名門。妻の千重子(千恵)も上級藩士出身で6人の子供たちにも藩を支える誇りと心構えを伝えたそうです。

頼母は京都守護職の役目を頑固反対した為に家老職を解任。その後、会津戦争で家老職に復帰して白河口総督として新政府軍と一戦を交えるが歴然とした戦力の差を感じ、恭順を提案するが藩内には同意するものがいなかった。

近代的兵器を装備した新政府軍は白河、二本松を破り慶応4年8月23日についに会津若松城下へ突入。

会津若松(鶴ヶ城)城下では、会津の女たちも戦うことになる。

法界寺には娘子隊の中野竹子が使用した薙刀が遺品として奉納してあるそうです。

次々と老人や子供が会津若松城に入る中、西郷千重子(千恵)も誘われたが断った。千重子は、自分たち一族が城に入らないことで少しでも他の人たちに兵糧を回せるようにした。そして生き恥をさらさない為に自刃を決意。千重子は跡取りである11歳の長男だけを城に送り出したそうです。千重子は女性たちを諭し死出の支度を始める。死に装束を整えるため自ら肌着の襟や袖に縫い付けていく幼い娘。

13歳の次女・瀑布と16歳の長女・細布は二人で辞世を詠んだ。

「手をとりてともに行きなばまよはじよ(次女) 」

「いざたどらまし死出の山みち(長女) 」

”家族 みんなが一緒ならば道に迷う事もなく あの世へとゆく事ができるはず”

それが姉妹が残した最後の願い。

一族は次々と自害。最期に母の千重子は幼い娘を手にかけて自刃した。

辞世の句は「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」

”弱々しき女の身は あたかも風に揺れるばかりの細い竹ですが

決して たわむ事のない節もあるのです”

一族が自害した後に、西郷家は火に包まれて焼け落ちた。

野ざらしになっていた21人の遺骨を埋葬したのが頼母の姪・登世子だったそうです。

登世子の尽力によって築かれた「善龍寺の二十一人之墓」。

現在、寺には千重子(千恵)なの竹の歌碑が建てられているそうです。

千重子の死後、玉砕を覚悟していた頼母は、和睦派と対立して会津若松城を追われ、吉十郎を連れて仙台、箱館。戦いに破れ幽閉の身となる。自害も考えたが長男・吉十郎を育てるために生きることした。その事は自叙伝「栖雲記」に詳しく記されているそうです。しかし、吉十郎は22歳で亡くなってしまう。無念と悔恨に、苛まれた西郷頼母の晩年。吉十郎の死後、神社の神官などで各地を20年ほど渡り歩いた。
70歳を迎えた西郷頼母は会津に戻り、むしろを下げただけの長屋住まいを送ったそうです。

何故、頼母は会津に戻った?それには理由はあった。

「善龍寺の二十一人之墓」の隣に自分を墓を建てる為だった。

妻・千重子(千恵)と共に眠りたいからだったそうです。

政府の要職や、ゆとりある生活を送る事も出来た知識人の西郷頼母が全国の放浪する余生を送ったのか?それは、会津戦争で亡くなった会津の人たち、そして妻や子供たちに償いの念があったからでしょう。死んでも妻たちに会わせる顔がない。それなら、事実を後世に伝えて行こうと、悔やんだに違いない事でしょうね。

6月30日には第26回「八重、決戦のとき」が放送。
スタジオパークで西郷千恵を演じた宮崎美子さんが涙を流して語った西郷家が自刃をする事となります。

八重の桜 後編 あらすじ【ドラマ・ストーリー】壮絶、会津戦争

注文をしていた八重の桜 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) [ムック] / NHK出版 (編集)がamazonから届きました。
冒頭の写真は会津戦争での名場面。八重の鉄砲を構える場面や中野竹子の最期、白虎隊など名シーンが収録。登場人物紹介では八重、覚馬、尚之助以外に中野竹子、山川大蔵、官兵衛、照姫、容保、斉藤一、勝海舟、徳川慶喜、松平春嶽など主要人物を2ページを使い紹介しています。
続いて、八重の生き方、綾瀬はるかX貫地谷 しほりX黒木メイサ 座談会、戊辰戦争で会津の戦い、新たな人生を歩んだ京都、製作日記と収録されています。

八重の桜 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) [ムック] / NHK出版 (編集); 山本 むつみ, NHKドラマ制作班 (その他); NHK出版 (刊)
八重の桜 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) [ムック] / NHK出版 (編集)

続いて「八重の桜 後編 あらすじ」が収録。そのあらすじは、

第19回 「慶喜の誤算」
第20回 「開戦!鳥羽伏見」
第21回 「敗戦の責任」
第22回 「弟のかたき」(戦雲、東へ)
第23回 「会津を救え」(奥羽の誓い)
第24回 「二本松少年隊の悲劇」(二本松落城)
「二本松・・あの子供だぢ・・」八重の不安は的中・・・・
二本松で二本松少年隊は戦場に命を散らした。八重からの白河だるまを貰った才次郎という少年の姿もあった。

八重の桜1

第25回 「白虎隊出陣」
・猪苗代城から新撰組が撤退。土方歳三は仙台へ、斉藤一は会津へ戻った。会津では白虎隊を見送る八重。登城の支度をととのえ「会津を傷つける者を、私は許さねぇ。・・・私は戦う。」三郎の軍服を着て、肩からスペンサー銃をさげるのだった。

第26回 「スペンサー銃を撃て」
・八重は佐久、うれ、みねを連れて城へ急ぐ。新政府軍に会津若松城の外堀の一画が破られる。八重は健次郎ら少年兵を率いてスペンサー銃で応戦。「命を捨て示すのが、西郷家の役目だ。」西郷千恵と西郷家が自刃。「大蔵、官兵衛、平馬、皆、会津を頼む。」と負傷の田中土佐、内蔵助も自刃して果てた。飯盛山の山腹までたどりついた白虎隊。「俺だぢは会津の本軍だ・・見苦しいまねはできねえ。」伊東悌次郎と白虎隊は自刃する。

第27回 「彼岸獅子入城」
・涙橋の近くで戦闘に入っていた中野竹子。銃弾に胸を撃ちぬかれ「悔しい・・・あと少しのところで」と絶命。そのころ神保雪は新政府軍に捕らえられ、自ら喉を突いて命を絶った。。大蔵は彼岸獅子の行列ととともに入城する。

第28回 「殿との再会」
・西郷頼母は会津を去り、官兵衛は酔いつぶれ兵を失う。西郷千恵と中野竹子の死と雪が消息不明だと知る八重。大蔵の妻・登勢が「焼玉おさえ」で洗濯物を落ち弾にかぶせようとしたが爆発した。

第29回 「鶴ヶ城開城」
・新政府軍の総攻撃が始まる。容保の命で秋月は城を抜け新政府軍と交渉。権八が瀕死の重傷で戻ってくるが「八重、にしは、わしの誇りだ・・皆を守れと」と家族に看取られ息絶える。猪苗代に向かう途中、尚之助の突然行為に「尚之助様!なじょして・・・尚之助様」八重は遠ざかる尚之助の背中に向かって絶叫した。

第30回 「再起への道」
第31回 「覚馬からの手紙」

八重の桜2

多くの会津藩士が戦死、自刃をする会津戦争。生き残った会津の人々も離縁や厳しい生活がまっています。三郎とおとっ様の死。八重と尚之助、うらとの別れ・・・。「八重の桜 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) [ムック] / NHK出版 (編集)」に離縁後の尚之助の最期は描かれておらず、東京で裁判にかけられる場面で終わっています。覚馬が妻を娶った事を知り愛するみねと別れるうら。「八重の桜 後編あらすじ」を一通り読んで、あの賑やかだった山本家がなつかしくも思いましたね。

八重の桜ツアー 黒木メイサX白羽ゆり 二本松少年隊に涙

先日放送のNHK『八重の桜ツアー』早春編で、

中野竹子を演じる黒木メイサさんと、
福島県福島市出身で山川登勢を演じる白羽ゆりさんが福島県を訪れました。
そのレビューになります。

冒頭では『お手合わせをお願いします。』
と中野竹子と八重の『八重の桜』での稽古のシーンが登場です。

猪苗代湖からスタートの二人の旅。はじめに磐梯山を拝める強清水地区で
変わったご当地グルメを明治初期創業の『清水屋』で召し上がります。

『あんこ!』と天ぷら饅頭に驚く黒木メイサさん。

その天ぷら饅頭をそばに入れて食べる『天ぷらまんじゅうそば』が名物だそうです。

続いて二人は会津坂下町に向かいます。
黒木さんが訪れたい場所は、中野竹子の墓です。
手を合わせて拝む黒木メイサさんは、

『挨拶させてもらったし、がんばります。』と役に対する意気込みを語っています。

ナレーションの何を話したのですかに、
『それは、いえません。』と・・気になりますね。

中野竹子の時世の句
「武士の猛きこころにくらふれは 数にも入らぬ我が身なからも」
黒木メイサさんは、このような想いだったのでしょうか?

続いて二人は会津名物の『むきくるみ』の工場へ。
会津では昔から会津女は飢饉に備えてくるみを栽培していたそうです。
むきくるみに挑戦をする黒木メイサさんと白羽ゆりさんです。
なかなかむけない白羽さんですが、
黒木さんは器用でコツをつかんで剥いています。
こちらでは、くるみのお餅などを召し上がり。美味しそうですね。

続いて戊辰戦争の激戦地となった二本松へ。
二本松市では、悲劇の少年兵・二本松少年隊の戦った記録が残るご自宅へ。
蔵の中で半世紀眠っていた35ミリ映画フイルムを鑑賞します。
昭和6年に生き残った少年隊士の生の声を元の製作された記録映画。

その戦で生き残った少年隊士・武谷剛介がが孫が同じ年になったときに出陣した服を復元させて着せた写真は、7歳ぐらいの少年が槍を持つが姿が・・・こんな幼い子供が戦ったとは自分も知らなかった。家族も辛かったでしょう。

『すごく写真がリアルで辛い。』と涙を流す白羽さん。

二本松城(霞城)の城下に迫った敵陣と応戦するために少年たちは急遽、出陣する事になり、

その少年の服を作り我が子を送り出す母の銅像に

『(お母さんたちは)どんな覚悟があったのだろう。想像できないですね。』

黒木メイサさんも涙。先日、お母さんになったばかりの黒木メイサさんは、その思いに共感。伝わるものがあったのでしょう。

最後に、桜の模様でライトアップされた鶴ヶ城で、
『ありがとなし。』『ありがとなし。』と挨拶をする二人。
前回の、剛力さんの八重の桜ツアーと比べて
今回の黒木メイサさん演じる中野竹子と白羽ゆりさん演じる山川登勢は
非業の死を迎えるだけに
重みがあるの八重の桜ツアーでしたね。

八重の桜キャスト 中野竹子 黒木メイサ

中野竹子役 黒木メイサ

『鉄砲・・・武士の魂がこもる、剣や薙刀とは違います』
     大河ドラマ『八重の桜』 第16回「遠ざかる背中」より

     テレ朝『白虎隊』以来、再び会津の女を演じるのは黒木メイサさん。
     『八重の桜』は出産後の初時代劇出演、中野竹子役で第16回から登場。

中野竹子【会津の才女】

江戸詰め勘定役・中野平内の長女として江戸で生まれる。八重(綾瀬はるか)よりふたつ年下。薙刀の名手で容姿端麗の才女して会津では知らない者はいなかった。
戊辰戦争の直前に会津に戻り、藩内の子女に学問や薙刀を教える。母・こう子、妹・優子らと「娘子隊」を結成。薙刀を手に新政府軍と戦ったが銃弾が胸を貫通。首級を敵に与えることを潔しとせず、母の介錯により果てた。
辞世の句は「武士の猛きこころにくらふれは 数にも入らぬ我が身なからも」

続きを読む 八重の桜キャスト 中野竹子 黒木メイサ