八重の桜 あらすじ 第6回 会津の決意

八重の桜 第6回 会津の決意

井伊直弼が桜田門外の変で暗殺された。

万延元(1860)年4月。松平容保は『こたびの事は脱藩浪士が引き起こしたものにて、水戸藩の罪ではござりません。』と将軍・家茂に水戸藩の処分を思いとどまるように意見を述べた。

文久元(1861)年初夏。山本八重(綾瀬はるか)は15歳になっていた。薙刀の練習試合で山川二葉(市川実日子)に勝つ八重。その二葉は梶原平馬(池内博之)と、井上雪(芦名星)は神保修理(斉藤工)と縁談が決まった。  八重の周辺で次々と縁談が決まるが、

『女子でも砲術師範になれる国。どっかにないべか・・・』

と八重は、あいかわらず鉄砲に夢中になっている。

山川大蔵(玉山鉄二)と梶原が覚馬を訪ねてきたが、兄が出かけていた為に、代りに熱心に銃の説明をする八重。その後、手際よく銃を撃つ八重の姿に引き込まれるように見る大蔵だった。

その年の晩秋、江戸で松平容保の正室 敏姫が亡くなった。

文久2(1862)年四月。薩摩の島津久光が京に上洛、会津藩士の秋月悌次郎(北村有起哉)は京で視察をしていたが薩摩藩士の多さに驚異を感じていた。京では公家たちを巻き込んで長州や土佐も動きだしていた。

江戸では薩摩が松平春獄(村上弘明)と一橋慶喜(小泉孝太郎)を復権させた。

春獄は都の抑えに、『一日も早く、京都守護職を置くこと・・・血筋、家格とも申し分なく、兵力とご公儀への忠誠心をあわせ持つ者』と会津が適任だと慶喜に進言する。

会津では、うらが女子を授かり、そして京都守護職の賛否で大騒ぎになっていた。『お断りすることはできぬものでしょうか?』の覚馬に『にしに言わなくても、お引け受けたら会津は死ぬ』と頼母は返答する。

そのころ、会津江戸屋敷では、京都守護職を頑なに断り続ける松平容保(綾野剛)に、

『会津には、藩租・保科正之が定められた土津公卿家訓なるものあると聞き及びまする。御家訓には、徳川宗家に忠勤を尽くすべし、との一条があるとか・・』と松平春獄が問いかける。

『守護職のお役目。お受けする。』と答える容保。

京都守護職を内諾した容保は、『徳川ご宗家と存亡をともにするのが、会津の務めだ。・・・わしに力を貸してくれ。』と涙ながら家臣に語る。『おそれながら殿は会津を滅ぼす道に踏み出されてしまった。』と頼母の声は振るえていた。

文久2(1862)年8月1日 容保は京都守護職を拝命した。

会津では薙刀の練習試合で双葉に負ける八重。

『私の覚悟が、これまでと違っているのです。私も京に上ります・・・武家の妻ですから。』と二葉は覚悟の表情で話すのだった。

容保は上洛は師走に決まり、1000人の会津藩氏と覚馬も京へ向かうことになる。

第6回 おもなキャスト

山本八重:綾瀬はるか)

山本覚馬(八重の兄):西島秀俊
川崎尚之助(洋学者):長谷川博己
梶原平馬(会津藩士) :池内博之
山川大蔵(会津藩士) :玉山鉄二
二葉(大蔵の姉)   :市川実日子
時尾(八重の幼なじみ):貫地谷しほり
松平容保(会津藩第9代藩主):綾野剛
西郷頼母(会津藩家老):西田敏行

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