八重の桜 あらすじ 第1回『ならぬことはならぬ』 

八重の桜  第1回『ならぬことはならぬ』

慶応4(1868)年8月、砲撃をあびる会津・鶴ヶ城内で、

スペンサー銃を構え戦う若き女性銃士がいた。

スペンサー銃で薩摩の大山(反町隆史)を貫く。

『お城は渡さぬ。ならぬことは、ならぬのです。!』

彼女が山本八重、後の新島八重である。

戦からさかのぼること17年前。

嘉永4(1851)年。5歳の八重(鈴木梨央)は男勝りで負けん気が強く、父・権八(松重豊)や母・佐久(風吹ジュン)も手をやいていた。そんな八重が慕ってやまないのが、兄・覚馬(西島秀俊)だった。銃で華麗に的を撃ち抜く兄の姿を見た八重は、砲術に夢中になっていく。

『私も、兄様みでぇに、鉄砲さ撃ってみでぇ。』

しかし、父・権八は笑って取り合おうとしない。

会津では、藩士は六歳から九歳まででは「什 (じゅう)の掟」を繰り返し唱え、十歳になれば日進館で学問と武芸の鍛錬に励む。その荒稽古を初めて目にする藩主・松平容保(綾野剛)は驚く。

その年の秋、会津藩士が最も張り切る軍事操練「追鳥狩(おいとりがり)」の真骨頂である模擬戦の最中に事件が起こる。「一番鳥」の本命と目される番頭(ばんがしら)・西郷頼母(西田敏行)が一羽の鳥に狙いを定め竹鞭を振り上げたとき、八重が邪魔をしてしまったのだ。そこへ藩主・松平容保が現れ、八重を救う。

その晩、覚馬が蔵に閉じこまれた八重を様子をのぞくと『私のごと、武士らしいど・・卑怯ではねぇど仰せになった・・。私、お役に立ぢでぇ。いづか、強ぐなって・・若殿様に、ご恩さ返してぇ』と涙を浮かべていた。

嘉永5(1852)年1月。長州の吉田寅次郎(小栗旬)と宮部鼎蔵が日進館の見学に訪れ、覚馬は案内をする。

嘉永6(1853)年6月。ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航し、日本に開港をせまった。この年の秋に覚馬は江戸で西洋砲術を学ぶ為に安政3(1856年)年秋の門をたたいた。象山(奥田瑛二)に入門を許された覚馬は、ここで寅次郎と再会。のちに八重の夫となる川崎尚之助(長谷川博己)、勝燐太郎とも出会う。

嘉永7(1854)年1月。ペリー艦隊が再び現れた。幕府は急ぎ諸候を招集して善後策を講じた。水戸藩主・徳川斉昭の攘夷派と和睦案の彦根藩主・井伊直弼が真っ向から対立していた。意見を求められた容保は『今、戦を始めるのは無謀と推察いたします。』と主張する。覚馬と尚之助は黒船をみようと横浜村の海岸に駆けつけた。『あれごそ、西洋技術のかだまりだ。決めだ・・・。俺は、あの船に乗る!』覚馬は食い入るように黒船を見つめた。

会津では八重が銃を構えて撃とうとしていた。そこを父・権八に見つかるのだった。

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