神保修理役 斎藤工
神保修理【会津藩士】
家老・神保内蔵助の長男。京では外交官にあたる公用方として活躍。戊辰戦争では、慶喜らが江戸に逃げ帰り、兵を見捨てたとして修理に批判が集中。容保から切腹を言い渡される。容保の命を受けた秋月を通じ、逃亡を示唆されるが修理はこれを謝絶。「殿は、すべて分かって下されている。それで十分ではないか。」と修理は言い、主君の名誉と藩の秩序を守り抜くため切腹する。 時世の句は「帰り来ん時よと親のおもふころ、はかなき便り きくべかりけり」( 第21回「敗戦の責任」)坂本龍馬や勝海舟とも交流があった。