山川登勢役 白羽ゆり
宝蔵院流槍術の名手・北原匡の娘。山川家に嫁いで、すぐ大蔵は上洛。会津戦争で敵弾を濡らした着物などで発火を防ぐ「焼玉押さえ」に失敗、砲弾が破裂して瀕死の重傷を負い、息を引き取る。
宝蔵院流槍術の名手・北原匡の娘。山川家に嫁いで、すぐ大蔵は上洛。会津戦争で敵弾を濡らした着物などで発火を防ぐ「焼玉押さえ」に失敗、砲弾が破裂して瀕死の重傷を負い、息を引き取る。
国家老・山川兵衛の孫。幼い頃から優秀で、幼馴染の八重には恋心を抱いており、覚馬から八重の結婚を知らされ動揺した。京に上洛後「鳥羽伏見の戦い」で覚馬に修理と優秀な人材を失う中、大蔵は「会津戦争」で活躍。江戸では八重の弟・三郎を看取る。会津に戻り「日光口の戦い」では新政府軍と善戦していたが「会津城鶴ヶ城危機!」の知らせで鶴ヶ城に戻る。会津の伝統芸能「彼岸獅子」を舞いながら入城、敵方からも「知恵山川」とたたえられた。大蔵は会津篭城戦の総指揮を引き受け戦う事になる。
『鉄砲・・・武士の魂がこもる、剣や薙刀とは違います』
大河ドラマ『八重の桜』 第16回「遠ざかる背中」より
テレ朝『白虎隊』以来、再び会津の女を演じるのは黒木メイサさん。
『八重の桜』は出産後の初時代劇出演、中野竹子役で第16回から登場。
江戸詰め勘定役・中野平内の長女として江戸で生まれる。八重(綾瀬はるか)よりふたつ年下。薙刀の名手で容姿端麗の才女して会津では知らない者はいなかった。
戊辰戦争の直前に会津に戻り、藩内の子女に学問や薙刀を教える。母・こう子、妹・優子らと「娘子隊」を結成。薙刀を手に新政府軍と戦ったが銃弾が胸を貫通。首級を敵に与えることを潔しとせず、母の介錯により果てた。
辞世の句は「武士の猛きこころにくらふれは 数にも入らぬ我が身なからも」
上総・飯野藩主・保科正丕の娘。書・和歌に堪能。10歳の時に会津藩主・松平容敬の養女となる。18歳の時に豊前・中津藩主・奥平昌服に嫁いだが23歳で離縁。のちに国もとの会津に戻る。会津戦争では鶴ヶ城籠城戦で城内の婦女子を指揮した。
吉田松蔭と死罪と、井伊直弼の暗殺。覚馬と容保と親交があった二人の死です。人気俳優 小栗旬が吉田松陰を演じた事もあり、八重の桜 第5回では吉田松陰が主役と言ってもいいエピソードです。
攘夷派から覚馬を救ったうらは流産。翌日、すくすく育つ植物を見て泣く姿は、ウルウル来ますよ。
攘夷浪士をビー玉で応戦、そして子供を救う八重は、動神経の良さは、あの会津戦争で活躍を髣髴させる片鱗がありましたね。
毎度の事ながら福島出身だけあって西田敏行さんの会津弁は上手い。覚馬とうらは結婚。うら役の長谷川京子さんは夫に忠実で一途な妻を演じていますね。
体は大人だけど、まだ12歳の八重役の綾瀬はるかさんは、まだ子供っぱい。聞き耳を立てたり魚を取ったりと、お転婆ぶりは映画『ひみつのアッコちゃん』で演じたアッコちゃんにも見えました。コロリを口にする姿は『仁』の咲さんですね。
井伊直弼と徳川御三家の対立。時代劇の大御所 榎木さんと伊吹さんだけあって迫力がありますね。攘夷の嵐、日米修好通商条約に調印した井伊直弼。もう少し時代が遅かったら多くの敵を作る事はなかった。
あの妖霊星は、容保と覚馬、八重が見た事から今後の会津の運命を暗示していたのでしょう。
美濃・高須藩主・松平義建の6男として生まれ、8代会津藩主・松平容敬の養子となる。軍事操練「追鳥狩(おいとりがり)」で幼少の八重を助ける。松平春獄に『会津には藩租・保科正之が定められた土津公卿家訓なるものある』と問われ京都守護職を拝命するが、容保の清廉さが会津に悲劇をもたらす事になる。
日向左衛門の娘。八重より6歳年下で、八重を姉のように慕う。実母・ちかを三歳に時に亡くす。八重の弟・三郎には恋心を抱いていた。会津戦争の時に入城できず、幼い弟妹とともに農家の世話になる。戦争で父と兄が戦死。ユキは遺体を捜し出して埋葬した。
偉大な兄・覚馬、活発な姉・八重の背中を見せて育つ。鉄砲の威力を重臣たちに知らしめたいと、上洛を控えた佐川官兵衛の部隊に入る事を切望するが願いは叶わなかった。
父や兄と同じく江戸の留学を経験後、上洛。鳥羽・伏見の戦いには志願して参加、果敢に敵陣に攻め入ろうとするが、銃撃を受け死亡する。「よぐ狙って・・兄様か・・・兄様、姉上。」が最期の言葉だった。( 第21回「敗戦の責任」)遺髪と軍服は尚之助によって山本家に届けられた。三郎の袴は会津に送られ『会津戦争』では八重が着用して戦った。
会津勘定方・樋口家の娘。慎ましく物静かで、働き者の女性。攘夷派に襲われた覚馬を庇い初子を流産。その後、長女 みねを出産するが覚馬は京都守護職となった松平容保に随行して上洛。うらは娘・みねを抱きかかえ覚馬から貰ったクシを握りしめて見送るが、これが覚馬との永遠の別れとなる。戊辰戦争後、京都での覚馬の生存を知るが覚馬が妻をめとった事を知りうらは、みねと別れ会津で生きていく決心をする。明治15年、会津を訪れた八重・みね、そしてみねの夫・伊勢時雄と会う。結婚を報告した、みねに感涙する。